東の空が白み星々が消えるころ、蒼は高い木の上にいた。
何か生物の鳴き声が一声、澄んだ夜気を裂き鋭く響く。それは山々に木霊し特別柔らかい蒼の肩羽を震わせた。
ああ、陽が昇る。
何度見ても美しい、と蒼は思う。
人である堅双にも見せてあげたい。
耳を浚うキンとした風を、目を射す生まれたての陽を。
のどの奥、こみ上げる何か。
咆哮するように、猛禽が空を仰いだ。
完全に朝日が昇る前に、堅双は焚火の始末をし一夜の寝床に感謝して綺麗に整えた。
土にも、木々にも、命は宿る。摂理とは真理だ。
時間も、川も、すべての流れゆく物は決して逆さにしてはいけない。
堅双が旅を重ねるのには、薬草探しの他にもう一つ理由があった。
死を、探しているのだ。
どこだどこだと探しても、ここだとは誰も教えてくれない。
死に場所を求めているのではないから当然ではあるが・・・。
流れに逆らい続ける自分の終焉を、堅双はもうずいぶんと長い間探していた。
「先生―?置いてっちゃいますよー。」
と物思いにふけっている堅双の顔を覗き込めば、たちまち柔らかく細められる目にホッとして、蒼はご機嫌になった。
「今日もいいお天気ですね、先生。」
「ああ、そうだね。何とか今日中に水辺に着くと良いんだが。」
背中に荷物を背負い込んで、二人は再び山道を歩き出した。
ふわふわと足元が気持ちいい。落ち始めて間もない色とりどりの葉が山肌を少しずつ染めている。
後、ふた月もすれば木々は葉を落としきり、次の春に芽吹く準備に入るのだろう。
「この山には、ずいぶんとクヌギが多い。」
「そうですね。どんぐりがたくさん落ちてます。僕は、木の実は食べないけど。」
「木の実が多いと、君の好きなリスやネズミが多いだろう。そしてそれを狙う蛇も。」
「はい!だから僕、おなかいっぱいです。」
「俺はたいそう空腹だよ、蒼。・・・そうだな、腹を壊したら、クヌギの木の皮を食うがいい。乾燥させた方が良いが、あれは解毒作用が大きい。」
「えーと、なんでしたっけ。ぼ・・ぼ・・・・」
「樸樕。」
「そう!ボクソク!じゃあ先生、どんぐりを食べてるネズミも、おんなじ薬効があるのではないのですか?ほら、冬虫夏草の、寄生と同じに。」
「どんぐりが体内に入ったからと言って、ネズミが抵抗するかい?むしろ栄養にしようと積極的に消化する。まぁ・・・」
そこでぴたりと足を止めて、堅双は後ろの弟子を振り返る。
「どんぐりがネズミを食うなら、話は別だが。」
「え・・・。」
思わず想像して身震いする蒼である。
クスクスと堅双が笑って、再び歩を進めた。
蒼と同じ肉食の鳥、鷹が空高く旋回していた。
しばらく登ったり下りたりしていた二人は、突然拓けた場所に出た。獣道とは違う、踏み均された道がある。この先にどうやら里があるらしい。
「ありがたい。これで川のある所を聞けるな。」
「食べ物もいただけるとありがたいですね、先生。」
「蒼、分かっているね。人間に会ったらーーー」
「分かってますよぅ、兄様。」
「うん、有難う。」
他の人間の前では俺たちは師弟ではなく兄妹だ、と堅双は蒼に言い聞かせた。
以前ある里に訪れた時、弟子と名乗った蒼に言い寄る若者が思いのほか多く、辟易した堅双は以来、人前では兄妹ということにしている。
人の姿になった蒼はそれはそれは愛らしい・・・見た目の娘になるのだ。
少なくとも、蛇やネズミを好むようには見えない。正体がミミズクだなんて普通の人間なら信じたりはしないだろう。
それでも堅双は「大好きな人には、みみずをたくさんあげます!」と大声で宣言するような蒼を、大切に思っている。
蒼の本当の幸せとはなんだろう、といつも堅双は考える。
こうして、山に分け入り野を巡り水に遊ぶような旅を続けていると、思うのはやはり自然の偉大さ。
厳しくも逞しいその懐に抱かれてこその、いきものなのだ。
蒼もいつか、山へ帰り自然の摂理と共に生きるのが望ましいはずだ。
その時は背中を押してやりたい、と思う。
だが、その時が来るまでは・・・と、思っているのもまた真実。
・・・・・・続く
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