幻の花あり、と聞いてやってきた。
それは月夜にだけ移動する蟹の背中に咲くらしい。
その薬効たるや、かの冬虫夏草をも凌ぐと聞いては、薬師の血が騒ぐ。
「先生、そもそも『とうちゅうかそう』って何ですか?」
「なんだ蒼、それも知らないとは、君は本当に薬師の弟子かい?」
「先生が教えてくれたことしか、僕には分かりませんよ!」
先生と呼ばれたこの男。
薬師である。
名を堅双という。
代々続く医家の出らしいが、薬草ばかりに興味がいって、とうとう薬効高き草木を探し国中を巡る旅にでてしまったらしい。
薬師とは「くすし」と読み、名の通り薬草を用いて病を治す、医者と同意義である。
ザクザクと山に分け入っていた二人だが、少し開けたところに出ると堅双は、つ、と足を止め落ちていた木の枝で、
冬 虫 夏 草
としゃがんだ足元に大きく書いた。
「冬には虫で、夏には草、ってことですか?」
「正確には茸の類だな。土の中にいる蛾の幼虫に寄生し体液を栄養にして成長する。」
「げ・・・寄生ですか。なんか気持ち悪いですねぇ。薬効なんてほんとにあるのかな。」
「馬鹿を言うなよ、蒼。君だって蛇やネズミを食うだろう?栄養源が個体に合っていれば生物は成長するのは当たり前だ。気持ちの悪いことなど何一つない。」
「そりゃそうですけど・・・」
「卵から孵ると幼虫は土に潜る。その時茸の菌が幼虫に取り付くんだ。取り付かれた幼虫はたまったもんじゃない。生命力のありったけを使い、何とか菌に勝とうと戦うんだ。ま、大抵は負けてしまうんだがな。やがてその幼虫が使い果たした生命力がギュッと詰まった茸が生える。幼虫の頭部からね。」
「頭から・・・それは確かに効きそう・・・ですね。」
うへぇ、と思わず頭をさすり、蒼は苦い顔をした。
そんな蒼を横目で笑い、よっこらしょ、と堅双は立ち上がる。
「さぁ、行くよ。明るいうちにこの山を越えたいからね。俺は君みたいに夜目が利かないんだ。」
「でも先生、蟹なら海でしょう?」
「なんだって?蟹なら川だろう。」
海です、川だね、と小競り合いをしているうちに、陽は身軽にもストンと落ち、深い山中の二人はあっという間に闇に包まれた。うっそうと茂る木々の隙間からはいまだ紫に燃える空が見えた。
蒼が集めた枯れ枝がパチパチと爆ぜ、闇夜に砦を作る。
野宿はいつものことだが今日は久々に寒い。
秋も深い今、普段持っている菰だけでは外で眠るのに心細いようだ。
「せめて川まで行けていたら、魚の一つも食えていたものを。」
堅双が文句を言うと、すいっと蒼が居なくなった。
「言っておくが、ネズミなら食わんぞ!」
と蒼が消えた闇夜に向かって叫ぶと、ニャアーと、猫のような声が聞こえてきた。
「まったく・・・どんなに柔らかくてもダメだ、みみずも勘弁してくれ。」
蒼はミミズクだった。
もう何年になるか。
死んだ大ミミズクが道端に落ちていたのだ。可哀想にと思ったが、これも自然の摂理。
ひょいと避けて道を進もうとした堅双の頭上から、ニャアーと泣き声がした。
「・・・・・・」
しょうがない、と木に登り巣穴を覗けば、まだ和毛の子ミミズクがこちらをじっと見ていた。
雛のうちは仕方がないとしても、いずれ野生に帰すつもりで狩りも教えた。餌は自分で取れるようにならなければ、生きてはいけまい。
実際には親になったこともないが、にわかにこれが親心などとしたり顔でつぶやいてみては、ずいぶん成体に近くなったミミズクを山中に放った。
が、何度放っても戻ってくる。
挙句、陽の高いうちは、人の姿に化けるようになってしまった。
狐も狸も化けるもの、そりゃミミズクだって化けるだろうさ、といたってのんきな堅双であった。
勝手に弟子を名乗り、後ろをくっついて旅をするようになったミミズクに、『蒼』と名付けたのは堅双だ。
光の入り具合によって、赤にも青にも金にもなるその大きな目。しかし堅双を見つめる時だけは、深い蒼を湛えるのだ。
あお、と初めて呼んだときは、次々と目の色を変えて見せ、やがてあの蒼い色でニャアーと鳴いた。
ミミズクはフクロウと同じに、ホーホーと鳴く訳ではないのだと、その時初めて知った堅双だった。
いつの間にか姿を現した蒼が、焚火の横にごろりと横になる堅双の首元に体を寄せる。
どうやら温めているつもりらしい。
狐狸妖怪も踊りだす、闇が闇であった時代。
不思議な話は至る所に。
・・・・・続く
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