特に冷え込んだその日の朝、庭にはうっすらと雪が積もっていた。
今日は妙が祝言の打ち合わせに来る日だが、この雪で往生し、先延ばしになるが良い。基之進はそう望んだ。
しかし妙は来た。
挙げ句、基之進の鶯を見せろと言う。
「基之進様が大層ご執心と聞き及びましたゆえ。ぜひ妙にもその声をお聞かせくださいませ。」
わざとらしくしなを作り、鳥籠に手を伸ばす妙。
寸とも鳴かず、うぐいすは妙をじっと見た。
「おや、私が気に食わぬ様子。流石にしのの名に相応しい不躾さですこと!」
妙は乱暴に鳥籠を揺すった。
「妙、止めておくれ!」
慌てて止めに入る基之進の様子に、妙はいきり立った。
「何ですの!たかが鶯のくせに!」
腹立ち紛れに妙は鳥籠を掴むと、庭の梅の木に叩きつけた。
「ふん。良い気味ですわ。基之進様もこれでお目が覚めるでしょう。」
言い捨てて妙は部屋を出て行った。
基之進は足袋のまま、ぐずぐずと溶け出した雪の庭に降り、無惨にも壊れた鳥籠を抱いた。
「しの!」
しかし、中に鶯はおらず。
替わりに、鶯色の簪が――カシャリと微かな音を立てた。
*****************************************
雪化粧に様子を変えた庭が騒がしくなりました。
急ぎ駆けつけてくれたお産婆の、叱咤の声が響いております。
極端に体力の落ちたしのにとって、お産は正に命がけでございましょう。
何度も気を失いかけ、それでも、母の本能でしょうか、懸命に歯を食いしばるのでした。
永遠にも感じられるような時が半刻、また半刻と過ぎて、漸く産声が聞こえてまいりました。
疲れ果てたしのは、意識を失うように白い顔をして眠りにつきました。
*****************************************
12月30日。
大晦日の買い出しに美雪は車を走らせていた。
この朝珍しく雪が降り、あちこちで渋滞ができている。
流れの良い道を選びながら、美雪はハンドルを握る自分の指に煌めくリングを見て微笑んだ。
陽に透かし輝きを確かめていた美雪は、スリップして来る対向車のトラックに気付くのが遅れた。
半ば正面衝突の様相で、路面に投げ出された美雪はすでに動かない。
野次馬や警察車両でごった返す中、どこかで遠くうぐいすの鳴き声が響く。
ぐずぐずと溶け出した雪に広がる美雪の赤い血に、どこからか、しんしんと降るように、梅の花びらが舞い降りた。
*****************************************
一昼夜、眠り続けたしのは、ゆっくりと目を覚ましました。
喜色を浮かべ覗き込む両親ににっこりと微笑むと、隣に眠る我が子に、
「美雪。」と呼びかける。
「おや、もう名前を決めておしまいかい?私たちに考えさせてもくれないとは。」
と、それでも喜びを隠しきれないしのの父親は、珠のような赤子を眺めた。
「美雪…」
そう再び呟くと、しのはまどろみの淵に沈んでいった。
終
0コメント