掌編  月



彼も見たのだろうか。

水たまりに映る、月を。

長く続いた雨が、ようやく止んだ金曜日。

名残の雲も気にならない程度に空は凪ぎ、二週間前に比べても確実に短くなった夕暮れの時間を歩く。

こんなに心弾むのはきっと新調したオフホワイトのワンピースのせい。

もうすぐ夜になる。

もうすぐ、彼に会える。

待ち合わせたレストランの前には、私の方が先に着いた。

張り切りすぎちゃったかな、と気恥ずかしさに頬が上気する。

「落ち着け私・・・」と小さく声に出し、エントランスのガラスを鏡代わりに、前髪を指で直した。

通りに面したこのレストランは、あまり高級すぎず、かといって居酒屋みたいに気安くはない。

ふと中に目をやると、落ち着いた照明の中幸せそうなカップルの姿がたくさん目に映った。

私達も食事を始めれば、外からこんな風に幸せそうに見えるんだろうか。

そう想像して、思わず頬が緩む。

程なくして彼がやってきた。

会社帰り、そのまま来たのかスーツ姿で。

家で寛ぐときののんびりした姿もかわいくて好き。でも・・・スラリとした彼の容姿に似合う細身のスーツ姿は、何度見ても素敵。

かっこよすぎて思わず目を逸らしてしまう。

耳が熱い。

不意に、冷えた彼の手が私の腕を掴んだ。

そのままグイグイと引っ張られ、レストランから遠ざかってしまう。

久々のデートで目いっぱいおしゃれしてきた私を、彼はレストランの裏手にある未舗装の駐車場まで連れてきた。

引きずられるようにここまで来たのに、彼ったら急に手を離すから、バランスを崩して地面に思わず倒れこんでしまった。

長雨のせいで所々にできた水たまりが、街の照明と月の明かりを反射してその場所を示している。

彼の靴が、呆然と倒れこんだままの私の肩を踏んだ。

上半身が大きな水たまりに嵌り、緩く巻いてきた髪が濡れて行く。

二度、三度と、彼の靴が私の肩を踏み、わき腹を蹴る。

耳元でする水音と、その冷たさに涙がでそうになる。

「誰に見せるためにそんなスカート履いてんだよ。俺以外に媚び売ってんじゃねえよ。」

低い彼の声に胸が震えた。




下から見上げる彼の、頭越しに見えた月が美しくて優しくて。

彼に酷く愛されているような気がしてくる私は、愚かだろうか。

夜半の月

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