掌編  萩の花



艶めかしい、なんて言葉は知っていても、それがどういう状態を指すのか俺は良く分かっていなかった。

俺のばあちゃんちは、本州の端っこの県にある。

まぁ、海に面していればどの県も本州の端っこって言えるんじゃないかって俺は思っている。

仕事で忙しい父親は家に残して、母親と妹と、四年ぶりでばあちゃんちに遊びに来た。

夏休み。夏期講習。部活。友達。彼女。

いろんなものを振り払って、思春期真っ只中の俺がこんな田舎に親と来たのは、きっとただの気紛れだ。

じいちゃんの葬式以来、見ることの無かったばあちゃんはそれなりに元気そうで、実家の気安さからか、母親も心なしかいつもより腐抜けた顔をして居間で寛いでいる。

暑さ寒さも彼岸まで、といいながらばあちゃんが拵えたおはぎを頬張りながら、妹はやけに幼い顔で笑う。

卒業したら進学の為家から離れる高3の俺が、こうして妹と過ごせるのもあとわずかだろう。

その田舎特有の甘みの強い餡子に、内心俺はうんざりしながらも妹に勧められるまま二個ものおはぎを平らげた。

この後ばあちゃんの買い物に街まで付き合う、とまだ口をモグモグさせたまま妹は言った。

「お兄ちゃんどうする?」

付き合ってもいいかな、と一瞬思ったけど。

餡子の甘さの残った唇を、俺は手の甲でグイッと拭って首をふった。

「俺はちょっとここらを散歩してくるよ。」

畑を抜け、植林された木々の間を分け入る。

この先しばらく行くと海に出るはずだけど、潮の香りの一つもしない。

四年前に来た時よりも、草が少ない気がするのは、俺の背丈が伸びたからかな。

あの頃は俺も中学生で、親に反抗してみたり勉強のプレッシャーでイライラしてみたり、まぁ、

人並みに荒れたりしていた。

葬式、という名目で来たけど、正直こんな田舎は退屈で、かといって見知らぬ土地を冒険よろしく歩くほどガキでもなくて。

今日みたいに、ばあちゃんの作る激甘餡子にヤラレタってのもある。

とにかく、あの日、時間と体を持て余した俺は、ぶらぶらとこの林に入った。

途中見つけた枝きれで、周囲の草を叩き散らして歩き進める。

ちぎれた草が、花が、青臭いにおいを放つ中、人と出会った。

俺と同じに、じいちゃんの葬式に来ていた、親戚の少女。

俺より何個か年上の。

名前だって良く分からないその人は、退屈だから抜け出してきちゃった、と悪びれもなく言った。

その薄く笑った唇の端が、切れて血が滲んでいる。

「血?」

と聞くと、うんと頷きチロリと舌を覗かせそれを自分で舐めとった。

「秋が近づくと、なんか唇荒れちゃって。いっつも切れちゃうんだよ。あいにくリップクリームも家に忘れてきちゃって。」

「ばあちゃんちに戻れば、母さんのがある。借りてやるよ。」

思えば、初対面の人とこんなにすんなり会話が進むのはそう経験がなかったけど、不思議にその時は何とも思わなかったんだ。

彼女がぐんと、俺との距離を詰めるまでは。

急に顔に当たる陽が翳ったと思ったら、さっき自分の血を舐めとった彼女の舌が、今は俺の唇の端に触れている。

驚き固まる俺に、彼女はまた悪びれもなく言った。

「餡子、付いてたよ。田舎の餡子は甘いよね。」

そうして、薄く笑った。

彼女は俺の足元を見る。

そこには、さっき枝きれで散らしたちいさな紫の花が、無残な姿で散らばっている。

「これ、ハギって言うのよ。花の形が艶めかしいんだって、古典の先生が言ってた。」

俺がやってきた道を、まるで獣道じゃん、と戻り始めた彼女の後ろ姿を俺はただ見送っていた。



遠くから車の音が聞こえる。

豪快な運転のばあちゃんに、妹はきっと文句の一つも言いながら笑っているのだろう。

今度会える時は、きっとばあちゃんの葬式だな。

何年後、いや何十年後かも分からないその日を、不謹慎にも俺は待つ。

夜半の月

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