鳥獣奇譚 天蛾 12(最終話)


ある村に、貧しくも働き者の若者がいた。

名を牽牛といい、年老いた牛と一本の鍬が財産の全て。

それでも毎日倦む事なく、畑仕事に精を出していた。

ある日、野良仕事から帰ってきた牽牛は驚いた。

なんと食事の準備が出来ている。

早くに両親と死に別れ、心当たりのある親戚も居ない。

そんなことがしばらく続いたある日、牽牛は朝早く出かけた振りをしてこの不思議を突き止める事にした。

納屋の陰に隠れていると、やがて一人の美しい娘が牽牛の家に入って行くのが見えた。慌てて追いかけ問うた。

「お嬢さん、あなたは一体誰で、何故このような事をしてくれるのですか?」

娘は織女と名乗り、毎日牽牛の働きぶりを見ていたと言った。

「少しでも、お手伝いがしたくて食事の用意をしていました。」

そう言って頬を赤らめる織女に、牽牛は勇気を出して言った。

「ぜひ、私のお嫁さんになってください。」

二人にはやがて子供にも恵まれ、貧しいながらも楽しく暮していた。

そんなある日。突然吹き荒れた疾風と共に二人の神将が牽牛の家を訪れた。聞くと織女は天帝の娘。

牽牛に恋をし、機織りの仕事も放り投げ天より降りてきたのだ。

怒った天帝は方々探し、ようやく牽牛の所にいる織女を見つけたのだった。

無理矢理連れ戻された織女を追いかけようにも、人間の牽牛にはなす術もなく途方に暮れていた。

そこに牽牛の老いた牛がこう言ったのだ。

「私を殺してその皮をまとえば、天まで飛べるだろう」

泣く泣く、牛の言う通りにした牽牛は、柳の木で作った籠に子供達を乗せ、織女のいる天へ昇って行ったのだった。

「その後、牽牛様と織女様は会えたのですか?」

長い菱雨の話を、柳の青年は黙って聴いてくれました。

そしてその後、突然にこんな話を語り始めたのでした。

「最初はね、身分違いと拒まれたが、牽牛と子供達の再三の願いを聞いて天帝様は会うのを許した。けれど、」

「けれど?」

「意地の悪いお后様が二人の間に大きな川を作った。簪で夜空を割いてね。」

「おかわいそうに…」

「天帝様もそう、思ったんだろう。一年に一度、多くの鵲を集めて橋を作ることにした。そして家族は再び出会う。」

「今も?」

「そう、今もだ。一年に一度、たった一日だけれどね。」

「そう………。」

カササギ、と聞いて菱雨の白い顔にほんの少し、赤みが差しました。

「私もいつか、会えるでしょうか……、あの方に。」

菱雨はもう、動くことすらできなくなっていました。

見えないはずの菱雨の目が、遠くを見るように細められます。

青年はそれに応えず、気配だけで微笑みました。

「その時のね、牛の皮と柳の籠が天から堕ちて、僕が生まれた。皮がうまくここに、引っかかってくれたから、僕は根付く事ができたんだ。」

「不思議な、お話…ね。」

「そう、不思議だ。あなたも、僕も。だからもう、ゆっくり休むといい。同じ不思議なもの同志、側にいるから。」

少し戯けた調子で青年が言うと、菱雨はふんわりと笑顔を作り、そのまま永い眠りにつきました。

青々と揺れる柳の下にポトリと落ちた美しい蛾は、もう風に飛ばされることなく、その白い翅を閉じたのでした。




終わり

夜半の月

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