時を同じくして、菱雨の身の回りにもう一つ変わったことがおきました。
お后の使い、あの老使者が、よく菱雨に会いにくるようになったのです。
時に季節の果物や野菜を持って。
「使者様は菱雨が気に入ったようだねぇ。」
と、運ばれてくる食料にニンマリしながら老女は言いました。
「しかし、妙なものだね。貢ぎ物ならもう少し色気のある物を持ってくるものだが…。」
確かにそうでした。
老使者の菱雨を見る目は、嫌らしいそれとは思えないものでした。
そして決まって帰り際、こう言うのです。
「どうか、健やかに……。」
老使者が来る時は決まって鵲も付いて来ます。
ジッと監視するかのように、庭木に止まり菱雨を見ています。
老使者が菱雨を訪ねたその夜は、必ずと言っていいほど、鵲が姿を現しました。
菱雨が、鵲の男に心惹かれて行くのを、誰も止められなかったでしょう。
憂いの溜息は、睡眠を削り仕事を遅らせました。
織女は恋を知ると光を失う
もちろん、忘れたことはありません。
けれど、焦げる想いで失う光ならば、それすら愛しいと、菱雨はいつしか思うようになっていきました。
蜜柑が手に入ったと、嬉しそうに老使者が御機殿を訪れた、ある日の夜。
菱雨の部屋にも、蜜柑の爽やかな香りが漂っていました。
そんな中。
襟を寛げた男が、菱雨の髪を梳きながら話し出しました。
「寝物語に面白い話をしてやろう。」
「面白い話ですか?」
「そうだ、哀れな男の話をな。」
ーーーーー神の衣を織る女と言うのは、神の一夜妻を務めるものだ。
ちょうどお前たちが、殿上人の衣を織る様に、昔は選ばれた乙女が神の衣を織った。
この、御機殿での話だ。
一人の美しい乙女に、惚れた男が居た。
絹糸を染める染工の若い男だ。そして乙女もそれに応えた。
ここに居ては、決して結ばれることはない。
二人はあれこれと手を尽くし、二人に同情した他の乙女達の手伝いもあって、ここから、何とか逃げ出したのだ。
二人は長い旅の末、乙女の生まれた村へ戻った。村長はもう既に死んで、戻ってきた乙女が表立って咎められることはなかった。
しかし、古のおきて通り、乙女は目がほとんど見えなくなっていった。
それでも、愛し合う二人は子を成した。
男と女を一人ずつ。
後に生まれた女の子が二つになった年。
うまく逃げ出したはずの二人だが、神の乙女を汚し連れ出した男は許されることはなかった。
村を大雨が襲い、男は雷に撃たれて死んだ。
雷は、神鳴り。神の怒りだ。
菱雨は、途中から震えが止まりませんでした。
まさか…まさかその話は!
そんな菱雨に自嘲気味な顔を作り、男はそばにある蜜柑を片手で放り投げた。
べシャリと嫌な音がして、落ち潰れた蜜柑が強い芳香を放つ。
「俺の主の、息子の話さ。」
…………続く
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