鳥獣奇譚 天蛾 6


馥郁とした香りが辺りに漂います。

菱雨は二つの小さな水晶の柔らかな煌めきに、ため息をつきました。

香木も水晶もとても高価な物、ということは分かりますが、それだけではない、何か魅せられるような心地がします。

眠る間際に、菱雨は掌にのせうっとりと眺めるのでした。

そんな菱雨の様子を、上から見つめる一対の目。

鵲です。

あの日老使者を、その姿が見えなくなるまで見送ったものが居たのなら、きっと気付いたはずでしょう。

その頭上に、鵲の見えないことを。

鵲は庭木の枝から、菱雨の姿を…いえ、その手にある水晶を、じっと見つめています。

鵲とはいえ、鴉の仲間。

光る物を好む鵲は、自分の主が匣から大事そうに出した物が欲しくなりました。

バサリと黒い羽を広げると、浮かび上がる白い模様。

まるで夜空に浮かぶ運河の様にも見えました。

枝を蹴って飛び上がり、ゆっくりと旋回しながら夜空に吸い込まれたかと思うと、急降下して地面に向かい落ちて来ました。

そして、その躰が地に触れる瞬間。

一人の男の姿に、変わっていました。

黒い髪、白い肌。

漆黒の衣を着た男。

音もなく菱雨の部屋に近づき、そっと中を窺いました。

急にろうそくの炎が揺らめいたのを見て、菱雨は身を硬くしました。

「……誰が、おられるのですか?」

その怯えた様な声の途切れる前に、漆黒の男は突然部屋に入り込み後ろから菱雨を捉えました。

片手は菱雨の口元に。

もう片方は、香木の袋を持った手に。

水晶どうしがぶつかってカチリと音がしました。

「声は出さない方がいい。」

後ろから聞こえる声に、菱雨は恐怖を抑えなんども頷きました。

空気を求め菱雨の顎が上がったのをみて、男はようやく口元に置いた手を緩めました。

咳き込む菱雨の目が、男の顔を捉えました。

目が鋭く、鼻の高い……まるで幼い頃にお話で聞いた、渡来人の様です。

その鋭い目が、菱雨を見て細められたかと思うと、男は握ったままの菱雨の手首にその唇を押し付け、来た時と同じ突然さでそのまま部屋を出て行きました。

後に残された菱雨の混乱といったら。

強い力で握られていた手首が赤く熱を持っているかのようです。

菱雨は、恐怖に跳ねる胸を必死に抑えました。

掌の中の香袋が、菱雨の体温と汗を吸い香りを増したようです。

遠くからバサリと羽音がしました。

それから、三度月が沈んだ次の夜。

再びあの男が菱雨の部屋に現れました。

もしかしたら怖い夢だったのかもしれない、と思い始めていた菱雨は、愕然とした恐怖に慄いていました。

またも口元を押さえられ、思うように息もできません。

叫び声を無理に飲み込み、コクコクと頷きます。

間も無くすると手が緩みました。

ギュッと手を握り締め、菱雨は恐る恐る男に尋ねます。

「あなたは一体…誰ですか?」

黒の男は笑ったのか、口を歪めました。

「俺は盗っ人。お前のその、光る石が欲しい。」

「光る、石。す、水晶のことですか?でも、これはお后様から頂いた大切な物で……」

香袋を握り締めた菱雨が言い終わらないうちに、ぐっと距離を詰めた男は、菱雨の眉間をザラ、と舐めました。

そして鋭い目をわざと細め、一睨みすると、

「お前、命は惜しくないのか。」

と囁きました。

ザワリと菱雨の背中が粟立ちました。

押さえらてもいないのに、息ができません。

「まぁ、いいだろう。また、来る。」

黒衣を翻し男は、唐突に消えました。



………続く

夜半の月

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