鳥獣奇譚 天蛾 3


それからしばらくの時が過ぎました。

季節は冬。

春から秋に掛けて取れた絹糸が、丁寧な精錬と染色を経て、機織女たちの元へ届きます。

来年の冬まで、それを一年をかけて布地に織っていくのです。

機織り機の扱いには慣れたとは言え、来てまだ間もない菱雨は、生成りの布地ばかり織っていました。

それでも、染色を施された絹糸のその艶やかな力強さよ!

その手触りに、故郷の村を思い出さずにいる日はありませんでした。

なぜか眠れない夜は、闇の中に糸を繰るあの母の白い横顔を、菱雨は探すのでした。

毎日毎日、織りました。

キー、パタン

キー、パタンパタン

夏のたぎる様な暑さにも、冬の攫われる様な寒さにも、機織女たちの奏でる音は変わりませんでした。

来る日も来る日も、織り続けーーー

いつしか菱雨は匂い立つ様な乙女に成長していました。

肌はあくまで白く、内側から輝くようです。ぬばたまの髪が豊かにそれを縁取ります。

けれども菱雨は、自分の美しさなど、知る由もありません。

菱雨を見て、切ないため息をつく男も、嫉妬に身を焦がす女も、周りには誰もいないのですから。

機織女達は皆、飼われ管理され大切にされる、棚の中のお蚕の様。

無色の衣を纏う自分たちの手から、美しい布地ができる。

自分たちと同じ年頃の高貴な娘達を飾る、美しい布が。

機織の乙女達は、何を思うのでしょうか。

都に佳き事あり、と言ぶれがあった夏も終わりのある日。

御機殿に帝より、特別華やかで上等な布を、とのお言葉が下されました。

春までに100枚の反物を仕上げねばならなくなりました。

20人余の機織女が寝食を惜しんで働いても、やっとできるかどうかの数。

それでも、やらなければなりません。

それが、機織女なのですから。

そんな忙しいある日。

菱雨は、新しい布を織る前の準備をしていました。縦糸を所定の位置へ行き渡わたらせます。

と、その時。

誤って指を傷つけてしまいました。

用意していた、糊付けされた上等な絹糸に、菱雨の血が掛かりました。

不思議なことに、かかったのはほんの数滴な筈なのに、ジワジワと絹糸全体に広がって、艶やかな朱色に変わってゆきます。

青くなった菱雨は、糸を持って急いで先の老女の元に走りました。

老女は菱雨を激しく叱責しました。

「貴重な糸になんという事だ!!本当ならば罰を与えたいところだが……だが今は少しでも人手が惜しい。急いで織り場にお戻り!」

菱雨は低頭して、機織り機の前にに戻りました。

そして今度は失敗しないように、注意深く準備をして、新しい布を織り始めるのでした。

菱雨が去ってから、老女は部屋で独りごちていました。

「……しかし、美しい色だねぇ。数滴でここまで染まるとは……。ふむ……。これ、誰かおらぬか?今すぐ染め工をここへ。」

間もなくやって来た染め工頭と、すっかり陽が暮れるまで、何やらヒソヒソと話しておりました。




……続く

夜半の月

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