菱の花咲く水辺の村に生を受けたと言う娘は、菱雨、と名乗りました。
村は養蚕が盛んでした。
夏の夜ともなると、たくさんの蚕の、葉を食む密やかな音が、まるで雨音の様に聞こえ涼しさを誘うのでした。
娘達の多くは村内で、繭から絹糸を紡ぐ仕事につきました。
しかし五年に一度、この村から選ばれた一人の娘が、都の御機殿に献上され機織女となる決まりでした。
殿上人の衣の布地を織る、機織女(はたおりめ)です。
辺鄙な村に居るよりは、良い衣を着、食べる物にも困らない暮らしが約束されていました。
しかし、村人たちは、自分の娘を進んで献上しようとはしません。
なぜならば、そこでは一生乙女のまま、過ごさねばならないのです。
年頃になれば恋をし、婚姻を結び、子を成す。
それができなくなるのですから、娘達は都行きを嫌がるのでした。
菱雨の父親は、菱雨がまだ幼い頃、雷に打たれ死にました。
雷は、神鳴り。
父親は罪を、犯したのだそうです。
どの様な罪かは、教えて貰えませんでした。
ただ、父親は元々この村の人間ではなく、都の民であったと、そう聞かされました。
美しくも病弱な母親と、兄との三人の暮らしでしたが、、菱雨には十分幸せでした。
菱雨が14になる年、菱雨の兄が結婚しました。
狭い村のこと、気心の知れた娘でしたし、菱雨にも優しい義姉です。
そんな時、ちょうど五年に一度の機織女を決める催事が行われました。
菱雨は、自ら前に進み出ました。
母親も兄も止めましたが、いずれ誰かが行かなくてはならない決まり。
「お兄さんがお嫁を貰ったのだから、もう私は居なくても大丈夫」
そう言って、菱雨は村を後にしました。
三日間の潔斎の後、都からの使者に伴われ、白い衣で輿に乗る菱雨は、まるで花嫁の様。
父親の罪がなんだったのか、もしかしたら分かるかもしれない
始めての輿の乗り心地に、身を持て余しながら、菱雨は、ひっそりと思うのでした。
都に着いてすぐ、御機殿に通され、一通り中の様子を案内されました。
機織女たちには、一つずつ間仕切りされた部屋が与えられます。寝食を一人でするためです。
他の機織女や外部の人間などと、交流するのはあまり好ましくないということ。
織り場まで行って始めて、数多の機織女たちと会いました。
規則正しく並んだ織り機の間を、菱雨は伏し目がちに、最奥にある与えられた持ち機まで進みます。
皆がそれぞれ美しい顔をしていて、小さく会釈を返してくれました。
キー、パタン。
キー、パタンパタン。
美しい布が、徐々に出来上がってゆく様に、菱雨は娘らしく胸を踊らせました。
来てしばらくの間は、手ほどきをしてくれる老女が菱雨に付くことになっています。
ここでの生活の仕方、お作法、布地の織り方まで、全てをこの老女から学ぶのです。
若い娘のことですから、ふた月もすると他と遜色無い布地が織れる様になっていました。
手ほどきの最後に、と老女は言いました。
「昔々、天帝の娘、織姫様が、牽牛との恋を知ったがために仕事をしなくなった。怒った天帝は二人を引き離すことにした。……だからお前、機織女は恋をしてはいけないよ。機織女が恋をすると、天帝がまた怒って、その娘から目の光を奪うからね。よくよく覚えておおき。」
一生を乙女で過ごす
その意味がようやく分かった菱雨でありました。
………続く
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