鳥獣奇譚 天蛾 1


淡墨で書いたかのごとく。

枯れた風情の、高く険しい山がありました。

草も疎らな急峻な山肌に、まるで引っかかったまま根付いた様な、柳の木が一本。

ゆっくりと時間をかけて伸ばした根はしっかりと岩土を掴み、高い幹からは長くしなやかな樹腕を垂らし、淡い緑を揺らしていました。

時折吹き上げる、地上からの風に煽られたのでしょうか。

一匹の蛾が、ゆらゆらと舞っています。

どうやら自力では翅を動かすことも出来ない様子。

風の向くまま右へ、左へ。

かわいそうに思った柳は樹腕を伸ばしその蛾を自らの葉に絡め、幹にそうっと降ろしました。

ほの温かい幹に安堵したのでしょう。

大きくて白い翅を力なく広げた蛾は、ひっそりと動かなくなりました。

柳は、このかわいそうな生き物が再び風に攫われない様に、緑で優しく覆うのでした。

どれくらい時間がたったでしょうか。

薄暮と共に風は止みました。

一番星と出会うにはまだ少し早い、そのくらいの時間。

柳の幹に、二人の人影が見えました。

枝にもたれ目を閉じる娘と、少し離れた幹に腰掛ける青年と。

娘の纏う白い衣が、名残の陽光を吸ってボンヤリと光を放ちます。

やがてゆっくりと目を開けた娘は、言葉もなく佇む青年に気付きました。

「助けて……いただきましたね。」

瞬きする瞳はしかし、青年を捉えません。

青年は労わる様に言いました。

「だいぶ弱っていました。大事はないですか?」

はい、と言うと娘はほろりと涙粒を落としました。

「私など、いっそあのままで、良かったのです。ここで助けていただいても、もうじき……尽きる身。」

ほろり、ほろりと白い頬を伝う涙を見て、青年は気付きました。

「娘さんは……目が…?」

それに娘は応えずに、光る袖口で涙を抑えます。

「……掟が、ありました。」

目を伏せ、うち仰ぐ様に細腕を一振り。

もしかしたらあなたには、薄っすらと翅が見えましょうか。

「私は……私は、恋をしてしまいました。恋をすると私たちは光を失うのです。」

この娘の長い物語を、あなたもお聞きになりませんか?

柳の、青年と一緒に。





…………続く 

夜半の月

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