淡墨で書いたかのごとく。
枯れた風情の、高く険しい山がありました。
草も疎らな急峻な山肌に、まるで引っかかったまま根付いた様な、柳の木が一本。
ゆっくりと時間をかけて伸ばした根はしっかりと岩土を掴み、高い幹からは長くしなやかな樹腕を垂らし、淡い緑を揺らしていました。
時折吹き上げる、地上からの風に煽られたのでしょうか。
一匹の蛾が、ゆらゆらと舞っています。
どうやら自力では翅を動かすことも出来ない様子。
風の向くまま右へ、左へ。
かわいそうに思った柳は樹腕を伸ばしその蛾を自らの葉に絡め、幹にそうっと降ろしました。
ほの温かい幹に安堵したのでしょう。
大きくて白い翅を力なく広げた蛾は、ひっそりと動かなくなりました。
柳は、このかわいそうな生き物が再び風に攫われない様に、緑で優しく覆うのでした。
どれくらい時間がたったでしょうか。
薄暮と共に風は止みました。
一番星と出会うにはまだ少し早い、そのくらいの時間。
柳の幹に、二人の人影が見えました。
枝にもたれ目を閉じる娘と、少し離れた幹に腰掛ける青年と。
娘の纏う白い衣が、名残の陽光を吸ってボンヤリと光を放ちます。
やがてゆっくりと目を開けた娘は、言葉もなく佇む青年に気付きました。
「助けて……いただきましたね。」
瞬きする瞳はしかし、青年を捉えません。
青年は労わる様に言いました。
「だいぶ弱っていました。大事はないですか?」
はい、と言うと娘はほろりと涙粒を落としました。
「私など、いっそあのままで、良かったのです。ここで助けていただいても、もうじき……尽きる身。」
ほろり、ほろりと白い頬を伝う涙を見て、青年は気付きました。
「娘さんは……目が…?」
それに娘は応えずに、光る袖口で涙を抑えます。
「……掟が、ありました。」
目を伏せ、うち仰ぐ様に細腕を一振り。
もしかしたらあなたには、薄っすらと翅が見えましょうか。
「私は……私は、恋をしてしまいました。恋をすると私たちは光を失うのです。」
この娘の長い物語を、あなたもお聞きになりませんか?
柳の、青年と一緒に。
…………続く
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