「ではまず、その痛みを軽く致しましょうか。」
突然、堅双が動き出した。
ニコニコしながら座敷に上がり、臥せる女のすぐそばまでズケズケと歩み寄る。
そして、失礼、というが早いか女の肩を掴んだ。
あまりの早業に呆然としていた蒼だが、女の短い悲鳴で我に返った。
「せせ先生!ダメですよ!!おなごに無理やりなんて!」
こんな時の堅双は、知的好奇心が体を支配している。
危険だ。非常に危険だ!
蒼は慌てて女に駆け寄り、そして息をのんだ。
堅双によって着物をひかれたその背には、光沢のある平らな葉をつけ枝を伸ばした植物がにょっきりと生えていた。
よく見ると髪の間から覗く肌も緑がかり、根がしっかりと張っているのが見える。
まだ小さく固そうだが濃黄色の蕾がところどころに付いていた。
「この葉は・・・・亜麻?・・・いや、黄亜麻、雲南月光草か!」
「おお!貴方はこの植物をご存知か!いやぁ、さすがですね。」
思わず口からこぼれる堅双と若者の嬉しそうな声に、蒼はいたたまれなくなった。
着物を剥がされ背も露わに震えている女の背ににガバっと抱き着く。植物をつぶさないように、なるべく優しく。
そして蒼は振り向いて、驚いている二人を構わず睨みつけた。
「着物!手を離してください!」
蒼の剣幕に押され慌てて両手を離すと、すかさず、元のように着物を肩に被せた。
ついでに乱れた髪も直し、布団まで掛けた。
「もう!」
それでも足りない、とばかりにぷりぷり怒っている蒼に、女は、そっと手をのばした。
その顔には幾分か生気が戻り、表情も柔らかいものに変わっている。
「お優しい娘さん。あなたはなあに?」
「僕は、ミミズクだよ。」
ヒッっと息をのむ音がした方を見ると、若者が蒼い顔でこちらを凝視していた。
「大丈夫だよ、蒼は君たちを食べたりしないから。」
堅双はにっこりと微笑むと、女の前に離れて座り、蒼を手招きし隣に座らせた。
「昔、遠く大陸を旅しておりましたところ、南の端、他の国々との交流も盛んなとある地方で、これと同じ花がありました。まだ寒さの残る、ちょうど年明けの頃。他の草花より先駆けて、葉を広げ枝を垂らし、丸く黄色い五弁の花が開くと、ぽっかりと照る月の光のように見えました。」
「その若さで、昔話など・・・あなたは何者ですか?」
じっと見つめあう女と堅双。
少しの沈黙のあと、居住まいを正したのはどちらからか。
「亜麻の薬効は高いと聞く。私は、自分に掛った術を解く薬草を求めて旅をしておりました。」
「術?」
女の質問にも答えず、うっとりとすら見える表情をして、堅双は語りだした。
蒼も聞いたことのない、堅双の苦悩を。
ーーー生まれたのは、確かにこの国でした。
僧だった父は薬膳にも通じ息子の私もまた、父のもとで厳しく学びました。
唐の国に使節団が向かう、という話を聞いたのは私が14の事でした。
学僧として同行することを許された私は、大きな船で大海に出ました。
しかしもうすぐ到着する、というときに嵐に合いあっけなく船は沈み、多くの仲間ともはぐれてしまいました。
運よく命のあるまま陸地に流れ着いた私は、一人の旅の老師と出会い、そのまま師に弟子入りすることなりました。
旅から旅への生活が始まりました。
私はまだ若く無鉄砲でしたから、毎日がとても楽しいものだったと、思い出します。
旅の途中、とある峻険な山へ入り込んだことがありました。
仙人が住むというその山の頂には小さな庵があり、そこで私と師は一休みさせてもらうことになりました。
途中汲んだ水の甘いこと。疲れた体に染み渡るようでした。
すると突然どこからか赤ん坊の泣き声のような声が聞こえてきました。
師に尋ねると、木の実だといいます。
仙人の食べ物だから人間は食べてはいけないものなのだと、師はいいました。
しかし好奇心に負けた私はその木を探しに出かけました。
庵の後ろには桃の木が立ち並び、その中の一つから泣き声が聞こえます。
見ると赤ん坊そっくりな形をした木の実がたわわに生り、あたりに甘いにおいが漂っています。
はじめは見るだけ、と思っていました。次は触るだけ、といい木の実に触れました。
ほんのりと温かい実が泣き声にあわせ震えていました。
少し指に力を入れるとそれはポロリと掌に落ちてきました。
強い桃の香が私の鼻を突き、気が付いたら私は夢中でその身を食べていました。
手と口を真っ赤な果汁で染めた自分が急に恐ろしくなり、まだ半分ほど残っているその実を地面に投げつけました。
そうしてみると、ただの桃です。半分に齧られた大きな桃の実が、土に汚れ転がっていたのでした。
気味の悪い思いをしたと師の元に戻れば、師は烈火のごとく怒り、その場で私を破門にしました。
仙人の食べ物を盗んだ罪は重い。お前は不老不死の体になってしまったと。
師は最後にそう言い残し、一人山を下りて行きました。
それからは、多くの人を見取ってきました。
愛する者に先立たれる苦しみ。
この孤独が永遠に続くのかと思うと・・・。
私は、術を解き私を死なせてくれる薬草をずっと探しているのですーーーー
堅双の長い話しが終わっても、誰も一言も口を聞けなかった。
ズズッと蒼が鼻を啜る音がやけに大きく響く。
沈黙を破ったのは、女だった。
「この花の種を、どうしても海まで運ばなくてはいけない気がするのです。月光を浴びると痛みが和らぎ背の花も成長するのに気づいてからは、こうして月の出るのを毎夜毎夜、待っているのですが・・・」
「月が出ないように、おそらく術が掛っているのでしょう。」
そう言いながら堅双が若者に目を移すと、きまり悪そうに若者が俯く。
そんな弟に姉は優しく声を掛けた。
「私のことを思ってくれたのね。確かに、花が開くとき私の命は終わるでしょう。でも、それは皆同じ。子を生せば親は死ぬ。子を生せない私は、この花を我が子として海まで運びたいの。分かってくれるわね。月を戻してちょうだい。」
そして、顔を双堅と蒼に向けると、儚くも鮮やかな笑みを見せた。
「この背の花が開いたら、どうぞ薬として一つ、お使いくださいね。」
………続く
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