菱雨は通された部屋の華美さに驚きました。
それもそのはず、今まで織女たちに与えられていた部屋のゆうに三倍はありましょうか。
「あの……私がここに?」
恐る恐る菱雨が尋ねると、老女は鷹揚に頷きました。
「そう。今日からここがお前の部屋だよ。特別に誂えた仕事部屋だ。まるでどっかの御姫様みたいじゃないか。光栄に思うが良い。」
そう言われても、突然の事に菱雨は戸惑うばかり。
大きめの明かり取りからは、木立が気持ちよく覗き、清潔そうな板張りの一部には土間もあります。
それに、部屋の真ん中あたりにある衝立の向こうに、豪華な寝台が見えました。
今まで寝台など、使ったことがない菱雨でありました。
「お前はこれからは、この部屋から出る必要はない。機織もここの、この機を使ってもらおう。あぁ、1人使いも付けようね。お前の世話だけをする女を。」
「どうして、ただの織女の私にこのような部屋を?」
「……それがねぇ、ほれ、この前お前が染めた糸でね、試しに布を織ってみたのだよ。仕上がってからも色褪せずに大層美しかった。殿上人の多くがほしがってねぇ。」
ゾッとするほどの猫撫で声で、老女はにんまりと笑ってみせました。
「お前の血は、特別だよ。ホンの数滴でいい。頑張って美しい布を織り上げておくれ。……お前の故郷も潤うことであろう。」
そう言うと、老女は菱雨の背中をつ、と撫でました。
「滋養のある物をたんとお食べ。今、女に運ばせようぞ。」
広い部屋に、一人取り残された菱雨は、落ち着かぬ思いで居りました。
どうしてこんなことになってしまったのか。
わが身を呪ってみたところで、状況は変わりません。
ただ一つ、明確なことは、菱雨には他に選択肢はないということ。
言われたことを、言われた通りにするしかないのです。
それが、織女のさだめなのですから。
幾つもの薄く液を張った盆に、それぞれ絹糸が入っています。
一つの盆の上に菱雨が手を翳すと、老女がサイカチの棘でその指先を刺しました。
赤く滴り、溶ける、盆の中。
みるみる緋色の糸に染まってゆきます。
その盆を一つずつ染工頭が何処かに運び、色止めとのり付けをして、再び菱雨の元へと運んで来ます。
鮮やかな緋色の糸。
それを使い、まるで血の色そっくりな布地を、何日もかけて織るのです。
一人での作業のため、なかなか一度にたくさんできることはないのですが、それがかえって希少さを生み 、殿上の娘たちの間では頻繁に噂にされるようになってきていました。
噂を耳にした帝の后が、御機殿に使いを下されたのは、それからいく日も経たない、ある雨の日。
使いが申すには、后のまだ幼い息子たちに緋色の入った薬玉を拵えたいとのこと。
よって、布地ではなく染めた糸が欲しいとのお達しでした。
老女は困りました。
血を多く使った後は、糸になって返ってくるまで菱雨は休めるし、一つの布地を織る間は、菱雨の指は傷つけたくはなかったのです。
菱雨はつい先日、たくさんの糸を染めたばかり。
まだ体調は戻っておりません。
しかし、后の命とあらば、さからうことなどできましょうか。
こうして今日も、菱雨の指先にサイカチの棘が沈んでゆきました。
……………続く
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